本日,10月23日は、旧暦9月13日、十三夜の月は、二度目の秋の名月、俳句の季語では
「後(のち)の月」として詠まれます。
お月見というと旧暦八月十五日の十五夜がもっとも有名ですが、
日本では古来もうひとつ旧暦九月十三日の十三夜もまた美しい月であると重んじていたそうです。
一般に十五夜に月見をしたら、必ず十三夜にも月見をするものともされて、
これは十五夜だけでは、「片月見」といって嫌われていたからだそうです。皆さま、本日の十三夜の句をお寄せ下さいませ。
参考資料;仲秋の月は、更科の里、姨捨山になぐさめかねて、なほあはれさの目にも離れずながら、長月十三夜になりぬ。今宵は、宇多の帝のはじめて詔をもて、世に名月と見はやし、後の月、あるは二夜の月などいふめる。
詩人画家富永太郎(1901-1925) について
(自画像) フリージア
2001年2月号「文学界」では、「詩学序説--七五調の喪失と日本近代詩の百年」と題した吉本隆明氏の巻頭論文を掲載しています。その中で吉本氏は、富永太郎の「恥の歌」を引用して批評した後、次のように続けています。
この詩人の詩は二種類しかない。「恥の歌」と一見すると逆のことをやっている詩は、この詩人からいくらでも見つけられるが、一つだけ挙げてみる。無題 富永太郎
あけぼのは未だ来ず、
静かにして平らかなる野よ。
風は死人の髪の如く
枯枝のほとりに顫ふ刈られざる雑草の上に、
目のごとく露は結びそめ
その上に暗き空かかりて
星はかすかに青味を帯びて動く。彼方に地平あり、
黒き断頭台は、されど地に隠れず。
夜は濃くその上にあつまりたれど、
音もなし、底知れぬ海のごとくに。これは日本語で書かれた異国語(この場合フランス語)の詩だ。島崎藤村の伝統的な七・五調の詩との比較でいえば「風は死人の髪の如く」という「風」の直喩は優れた直喩だが日本語の詩では絶対にといっていいほど使われない喩だからだ。(後略)
宮沢賢治の「春と修羅」
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の濕地
いちめんのいちめんの
(正午の
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
碎ける雲の
れいらうの天の海には
ZYPRESSEN春のいちれつ
くろぐろと
その暗い脚並からは
天山の雪の稜さへひかるのに
(かげらふの波と白い偏光)
まことのことばはうしなはれ
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
どこで啼くその春の鳥)
日輪青くかげろへば
修羅は樹林に交響し
陥りくらむ天の椀から
黒い木の群落が延び
その枝はかなしくしげり
すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
(気層いよいよすみわたり
ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSENしづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる)
あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずえまたひかり
ZYPRESSENいよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ