王者の午睡
蓮開く北方王者の語り部に
青時雨身の透けるまでゐたきかな
みちのくの王者の午睡深くして
風鈴や平泉の坂上りくる
乙女像へと一閃の岩燕
子ノ口の倒木に生れ梅雨茸
ででむしの愛さるること畏れけり
ハスの花(夏)
レンゲ(蓮花)花言葉は「雄弁」、七月の誕生花、七十二候の小春(七月七日ころ)「蓮始開(蓮の花が開き始める)」とある。早朝に咲き昼には閉じる。
昭和二十五年の奥州藤原氏御遺体学術調査の際に、泰衡公の首級が納められた首桶からハスの種子が採取され、その一粒が発芽し平成十年七月二十九日に開花。八百年もの眠りから覚めたことになります。中尊寺の表参道を月見坂といいます。奥州藤原氏が栄えた時代へとタイムスリップさせられるに容易な樹齢三-四00年の杉並木が続き、その坂を風鈴も上りくる。
七月九日締め切りの俳句九月号の七句もあり(上段転載)陸奥への旅に参りました。中尊寺ハスのことは、さくら会の仲間より聞いていましたのでぜひ見てきたいと思っておりましたら、七月初旬で心配していましたが、念願叶い出会うことができました。こんなに美しいハスをみたのは始めてで、その生い立ちからも深く心打たれました
万緑や死は一弾を以て足りる
秋の霊立志伝みな家を捨つ
早蕨や若狭を出でぬ仏たち
冬銀河青春容赦なく流れ
上田五千石(うえだ・ごせんごく)〔本名、明男〕・
1933(昭和8)・10・24ー1997(平成9年)・9・2(63歳)・
東京生・秋元不死男に師事・「畦(あぜ)」創刊主宰
「氷海」・『田園』』(1968)、『森林』『風景』『琥珀』『天路』
ゆびさして寒星一つづつ生かす
オートバイ荒野の雲雀弾き出す
春潮に巌は浮沈を愉しめり
もがり笛風の又三郎やあーい
桐の花姦淫の眼を外らしをり
水草生ふ放浪の画架組むところ
青胡桃しなのの空のかたさかな
春愁の消ぬるともなく談笑す
鷹羽狩行
麦の秋朝のパン昼の飯焦し
まだちゃんとしたトースターも、ましてや電気炊飯器もなかった時代。
パンを焦したり飯を焦したりしているのは、新婚後間もない妻である。
そんな新妻の失敗を仕様がないなと苦笑しながらも、作者はもちろん新妻を可愛く思っているのだ。
おそらく窓外に目をやれば、黄色に熟した麦畑が気持ち良くひろがっていたのであろう。
初夏の爽快な季節感も手伝って、結婚した作者の気持ちは浮き立っている。
新婚の女性の気持ちはいざ知らず、結婚したてのたいがいの男は、
このように妻の失敗を喜んで許している。
そこが実は、その後の結婚生活のそれこそ失敗の元になるのだ……などと、
余計なことを言い立てるのは愚の骨頂というものであって、ここはひとつ静かに微笑しておくことにしたい。
ところで、立派なトースターや炊飯器の備わっている現代の新妻には、どんな失敗があるのだろうか。
……と、すぐにまた野暮なことを言いかける我が野暮な性分。『誕生』(1965)所収。(清水哲男)
波多野爽波
柿若葉とはもう言へぬまだ言へる
季語は「柿若葉」で夏。初夏の陽射しに照り映える様子は、まことに美しい。
が、問題はいまどきの季節で、まだ柿若葉と言っていいのかどうか。微妙なところだ。
つくづく眺めながら、憮然としてつぶやいた格好の句である。
「まだ言へる」と一応は自己納得はしてはみたものの、「しかしなあ……」と、
いまひとつ踏ん切りがつかない心持ちだ。俳句を作らない人からすれば、
どっちだっていいじゃないかと思うだろうが、写生を尊ぶ俳人にしてみるとどっちだってよくはないのである。
どっちかにしないと、写生にならないからだ。
これはもう有季定型を旨とする俳人のビョーキみたいなもので、柿若葉に限らず、
季節の変わり目には誰もがこのビョーキにかかる。季語はみな、そのものやその状態の旬をもって、
ほとんど固定されている言葉なので、一見便利なようでいて、そんなに便利なツールではない。
仮に表現一般が世界に名前をつける行為だとするならば、有季定型句ほどに厄介なジャンルもないだろう。
なにしろ、季語は名前のいわば標本であり、自分で考え出した言葉ではないし、
それを使って自分の気持ちにぴったりとくる名前をつけなければならないからだ
真面目な人ほど、ビョーキになって当然だろう。掲句は、自分のビョーキの状態を、
そのまま忠実に写生してしまっている。なんたるシブトさ、なんたる二枚腰。
『波多野爽波』(1992・花神コレクション)所収。(清水哲男)
蒲公英のかたさや海の日も一輪
犬吠埼での連作「岩の濤、砂の濤」のうち。蒲公英(たんぽぽ)はもとより春の季語だが
他の句から推して春というよりも冬季の作品だ。
一句目には「燈臺の冬ことごとく根なし雲」とある。
一輪の蒲公英が、怒濤の海を真向かいに、地に張りつき身をちぢめるようにして咲いている。
たしかに蒲公英は、それでなくとも「かたい」印象を受ける花であるが
、寒さゆえに一層「かたく」見えている。生命力の強い花だ。
そして曇天の空を見上げれば、そこにも「かたく」寒々とした太陽が、
雲を透かして「一輪」咲くようにして浮かんでいる……。この天と地の花の照応が読みどころだ。
読むだけで、読者の身もちぢこまってくるようではないか。
この句を評して山本健吉は「古今のたんぽぽの句中の白眉である」と絶賛しているが、
同感だ。常々「二百年は生きたい」と言っていた草田男ならではの、
これは大きく張った自然観・人生観の所産である。
かつて神田秀夫は、草田男を「天真の自然人」と言った。
『火の島』(1939)所収。(清水哲男)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■■ ・・・新年──年立つ 去年今年 元日 三が日 二日 三日 四日 五日 七日 六日 人日 松の内 松過ぎ 女正月 初茜 御降り 門松 鏡餅 福藁 年賀 御慶 年玉──お年玉 賀状 書初──筆始 読初 仕事始──事務始、初仕事 初旅 乗初──初電車 買初 新年会 鏡開──鏡割 春着 年酒 雑煮 初湯 初刷 初電話 笑初──初笑 初髪 初日記 歌留多──花がるた 双六 十六むさし 福笑ひ 羽子板 羽子つき──遣羽子、羽子 手毬──手毬唄 独楽 正月の凧 初夢──夢はじめ 寝正月 成人の日 七種──七草 松納──門松取る 左義長──とんど、どんど 初詣 懸想文売 十日戎 初場所 伊勢海老 十六日桜 <七日>例句 ・・・・・・・■■ 山本有三 今ここで死んでたまるか七日くる 作者は『女の一生』『路傍の石』『真実一路』などで著名な小説家にして劇作家。 季語は「七日」で一月七日のことだ。 1974年(昭和四十九年)の今日、山本有三は伊豆湯河原の自宅で高熱を発し、 翌日に国立熱海病院に入院した。そのときの句だというが、当人以外には意ある。 「七日くる」とは、何を言っているのだろうか。 強いて理屈をつければ、七日は「七種(ななくさ)」なので、 七草がゆを食べれば病気を免れるとの言い伝えがあることから、 なんとか七日までは持ちこたえたいと思ったのだろうか。 しかし、高熱に苦しむ人が、悠長にそんなことを思ったりするだろうか。 他に何か、七日に個人的に大切なことがあったのだろうと読むほうがノーマルかもしれない。 いずれにしても、私が掲句に関心を持ったのは、寿命いくばくも無いと自覚した作家が、 五七五のかたちで思いを述べている点だ。 辞世の句を詠むなどという気取った意識もなく、作品として提出しようとする意図もむろん無く、 ほとんど咄嗟に五七五に思いを託している。 俳句というよりも、これほどまでに五七五の韻律は瀕死の人までをも巻き込むものなのかと、 粛然とさせられてしまう。 くどいようだが、彼はプロの小説家であり劇作家だったのだ。 結局、山本有三は一進一退の病状のうちに「七日」を越えて、十一日に死去した。 八十六歳だった。 余談ながら、現在、彼の作品は全教科書から姿を消してしまったという |